(あの「3.11」は終わってない! 風化させたらアカン!!)
東日本大震災時の炊き出し <1日目> ~ 衝撃 → 感動 ~
4/17(日) 20:30 『からから屋太子店』出発
22:00 『からから屋神戸店』出発
「災害派遣等従事車両証明書」を携え、大部・古市・魚住・橋本の4名が宮城県女川町とその先の牡鹿半島を目指す。
途中の石巻市は、そんなに被害がない。
かっぱ寿司、ラーメン屋が営業。なんと、驚いたことにパチンコ屋も営業しており、お客さんも入っている。
トンネルを抜けるとそこは地獄だった。
女川港に入ると景色は一変!ほとんど壊滅状態。全くの手付かず..。
今までに見たことのない光景が目に飛び込んできた!
地盤沈下で1m沈んだと言われる町、女川。
道なき道をひたすら走る。
牡鹿半島の南端である鮎川浜に向かうはずの観光道路は危険のため通行止め。
しょうがなく海辺のルートを選ぶ。
海辺のルートも恐ろしい状態だった。
道路と海水の高さが同じではないか!
この半島は、未だ自衛隊しか踏み込んでいない地。
4/18(月) 15:30 鮎川浜に到着
すぐに炊き出しを始める。老人ホームにて。
現地の食事時間は、朝食7時半、昼食12時、夕食16時。
被災者は老人が多かった。
◇老人ホーム鮎川支所 計130食
老人 50食
消防士 60食
ボランティアスタッフ 20食
その後、近くの避難所へ出来上がりの鍋を届ける。
避難所である集会所と火葬場を訪れ、拡声器を使って呼びかけながら歩いて民家に配る。
「神戸から『からから鍋』持って来ました!」
その時“おいしい!”と言ってくれた人達が知り合いの家を回って連れて来てくれた。
(“おいしい!” と言ってくれたOCEAN・KING成田潜水代表成田浩幸様達から
“復興できたら海産物を送る。” と言われ、ホルモンを送り返すことを約束する。
・・・なんとしても復興して欲しい。切に祈る。)
帰ろうとした時に“来てくれ!”との電話。
『からから鍋』を食べた人が“おいしいからよばれ。”と宣伝してくれたらしい。
行ってみると10人ほどの人が寒い中、懐中電灯を片手に待っていてくれた。
◇近くの避難所等へ 計100食
村の集会所 30食
火葬場 20食
民家へ 50食
夜、老人ホームにて仮眠をとる。