(あの「3.11」は終わってない! 風化させたらアカン!!)
東日本大震災時の炊き出し <2日目> ~ 感動 → 恐怖 ~
4/19(火) 8:30 起床
9:00 鮎川支所を発ち寄磯浜小学校へ向かう。
数少ない給油所である給分浜にて給油。
太平洋に面した谷川浜を通るが、壊滅どころじゃない!
道がない。アスファルトまでもが持っていかれている。
ひと一人もいない。
自衛隊がかろうじて土を盛り上げて作った道を走る。 雨が降ればなくなる道。危険な道。
本来は風光明媚と言われた地域である。
12:00 ◇寄磯浜小学校 120食
このエリアの救援物資は、
現在も自衛隊のヘリコプターのみによる。
震災当初は、
小学校のプールの水を飲料としていた所だ。
この地において、われわれが果敢なる初のボランティアとなる。
寄磯浜を後にし、泊浜を目指す。
ただし、あの危険な谷川浜を再び通らなければならない。
道と海面の境界がわからない上、まがりくねった道。
山のルートは土砂崩れのため通行禁止なのだ。
今回の走行で一番危険を感じた谷川浜。(恐怖。。)
ここでメンバーの覚悟のほどを確認する。
「ここまで来たら行くしかないじゃないですか!」
全部が砂浜に覆われた道なき地を、自衛隊の轍のみを頼りに走る。
泊浜に到着。
50食を準備するが、雨と風で人が集まらない。
村長さんから“風雨のため外出が怖い。後日にしてくれ。”と言われ断念。
やむなく引き返す。
前日訪れた鮎川浜に帰り、ボランティア方針の確認を行うが、方向性の違いを感じる。
「この先は自分たちの‘からからスピリッツ’で行く!」
給分浜への道中、十八浜避難所にて「鍋いりませんか?!」と声をかけると
“十八成浜へ明日7時半に持ってきて。”と依頼を受ける。
給分浜へ到着。
東京から酒類を積載したボランティアさんと遭遇。
酒類とともに“笑顔を届けたい。”という彼らと
“『からから鍋』とお酒でなごんででいただこう。”と行動を共にすることとなる。
◇給分浜の猟師さん宅へ30食
帰ろうとしたら、暴風雨にて道がなくなる。暴風異常警報。
テントの下に敷いている石、この石が人の高さまで飛んでくる。恐ろしき自然の力。
“これ以上は無理!”と言われ、山上の漁師さん宅に泊めていただくことになる。
(ありがとう、おじさん。お世話になりました。)
自然の力に驚きと恐ろしさ、人間の無力さを全身で感じる給分浜での夜。
周囲からの孤立にかつてない不安。
だが、俺達にとっては一夜限りのことが、
ここにいる人達はこれからも立ち向かっていく現実なんだ。
不安と恐怖が、奮起するエネルギーに変わった夜。